在宅支援診療所の最近のブログ記事

所長交代と診療体制の変更のお知らせ

2009年12月29日 14:55

事務長

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 2010年1月1日より、当診療所の所長が高橋 賢史(たかはし さとし)先生に交代いたします。また1月4日(月)より、藤原 悠子(ふじわら ゆうこ)先生が常勤医として着任いたします。

 

 それに伴い診療体制の変更を行ないますので、診療体制表を御確認下さい。

 

 当診療所をご利用の患者様、地域の皆様、引き続きご愛顧を賜りますよう宜しくお願い申しあげます。

 

ご報告:研修会「安心して過ごせる地域づくりを目指して」

2009年9月 2日 12:12

事務長

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 8月20日に、研修会「安心して過ごせる地域づくりを目指して」<在宅サポートセンター設立による在宅医療のトータルマネージメント>を開催いたしました。
 当日は診療所スタッフだけでなく、病院職員、法人管理部、地域のケアマネさんなど28名の参加がありました。

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 講師には氷室京子さん(東京ふれあい医療生活協同組合 梶原診療所)をお招きしました。梶原診療所は在宅サポートセンターを運営されており、地域の在宅医療の中心として存在しています。氷室さんは、そのセンターで地域連携業務を担われ、医療展開のキーマンとして活躍されております。

 氷室さんから、センター設立の経緯、センターに期待されていること、訪問診察室の業務内容、私の業務使命などを伺うことができました。
 特に共感をしたのは、サポートセンターの使命です。「どんな相談にも答えられる。梶原診療所に行けば解決してくれる。苦しいときの梶原だのみ。ゲートキーパーでありゴールキーパーである」という発言でした。これらは利用者様からだけではなく、ケアマネ、行政・医療機関、まさに地域全体からそういう役割を期待されたいという思いでした。

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 氷室さんのご自分の経験を交えた楽しいお話で、非常に有意義な学びをすることができました。またスタッフにも、大曲診療所が目指しているビジョンを伝えることができ、刺激的な研修会にすることができました。
 氷室さん、お忙しい中ご協力いただき誠にありがとうございました。(お土産に、「都電もなか」をいただき、スタッフで美味しくいただきました)
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在宅のタイミング

2009年8月13日 00:35

奥野

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この間病院から3人のターミナル患者さんをご紹介いただきました。

1人は、退院当日から意識低下、血圧低下、酸素低下があり、
退院後3日目の未明に息を引き取られました。

10日前はもっと元気で、
活発に動いておられたのに・・・

自宅に帰るタイミングを逸した感が残りました。
我々の口からは言えませんでしたが、家族からそう言われました。


2人目は予後数週間になってからの自宅退院。
予後数週間というと日々状態は変化し、
日常動作がだんだん出来なくなり、医療的にも介護的にも迅速な対応が求められます。

本人様や家族様の不安や動揺も大きいことでしょう。


これらのケースでは何よりも家族の不安や動揺が一番激しい時期です。
退院前のカンファレンスに参加して、24時間サポートすることを伝えたり、
自宅でも十分な医療が受けられることを伝えたり、
とにかく家族の不安や動揺を取りのぞくことに労力を割きます。

結局家族が不安や介護負担に耐えきれず、
入院となるケースも少なくありません。

ですから、我々は、家族の不安や負担に細心の注意を払って対応しますし、
このような場合には毎日往診することもしょっちゅうです。

家族も、我々もお互いに大変なんですよね。
患者さんも日々衰えていく身体機能の中で、
やり残したこと、やりたいことが十分出来る状況ではなくなってきます。


もっと早くに家に帰れていれば・・・
具体的に言えば、予後が2-3ヶ月残された状態で家に帰れていれば、
随分と違うだろうと最近思うようになりました。


医者を何年かやっていれば、おおよそ予後が数ヶ月とういのは予測がつくものです。
できれば、この段階で在宅に紹介していただきたい。

患者-医師関係、家族-医師関係を築くにも時間がかかりますし、
「自宅で看取ってあげたい」
「この先生なら信頼して最期を任せられる」
という家族の想いは
1月2月とうい介護生活の中で強まってくるものだと思います。


とにかく「病院でできることは無くなったから自宅に帰そう」ではなく、
患者さんに残された最期の数ヶ月間を、
人生をまとめたり身辺整理をしたりする貴重な時間として捉え、
在宅に紹介していただけることを切に望みます。

研修会「安心して在宅で過ごせる地域づくりを目指して」ご案内

2009年8月 5日 09:39

事務長

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 大曲診療所では、研修会「安心して過ごせる地域づくりを目指して」<在宅サポートセンター設立による在宅医療のトータルマネージメント>を下記日程にて開催いたします。

 

 大曲診療所は、来年度在宅サポートセンターの設立を目指しています。これまで在宅医療、介護に力を入れてきましたが、より診療所内の情報共有を含めた連携を密にし、在宅で過ごしたいと思われている患者様のサポートを強化することを設立の目的としています。

 研修会には、氷室京子氏(東京ふれあい医療生協 梶原診療所)を講師としてお招きしています。梶原診療所は、在宅サポートセンターを立ち上げ、先進的な在宅医療を展開されてます。氷室氏は、そこで地域医療連携室のスタッフとして、地域連携、所内連携のキーマンとして活躍されています。

 

 当法人外の医療従事者の方の参加も歓迎いたします。興味のある方はご参加お待ちしています。宜しくお願いします。

 

【日時】2009年8月20日(木) 16:30から18:30

【会場】大曲診療所 2階 旧理学療法室

【お問合せ】事務長室 渡部満  電話(0853)21―1186 内線16

 

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在宅療養支援診療所

2008年5月 8日 01:37

奥野

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ただいま作成中

在宅医療は自己実現のお手伝い

2008年1月15日 00:44

奥野

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■医療の目的は何か?

先日毎日新聞島根版の「ご近所のお医者さん」という連載コーナーのインタビューを受けました。
私と年齢もそれほど変わらないであろう記者の方が、最も興味を持たれたのは"看取りの医療"でした。

医療の目的は病気を治すこと、というイメージを持っておられたため、そうでない医療の姿がとても新鮮だったようです。
病気を治すことが目的ではないとしたら、看取りの医療の目的は何なのか…



私は、治療を目的とする医療も看取りの医療も目的は一緒だと考えています。
その目的とは、自己実現のお手伝いです。


命を救い、健康を取り戻すことは目的ではなく手段です。
その結果、患者さんには何がもたらされるのか? そこが大事です。
社会復帰して、自分らしく精一杯生きることが大事です。


看取りの医療の目的は何か?
苦痛や不安を取り除いたり、残された時間でやりたいことができるように医療面で支えることです。
最期の瞬間まで、その人らしく生き抜いてもらうことです。

 

■私が在宅医療に力を注ぐ理由

それは、在宅で過ごすということが、自己実現にとって非常に重要な意味を持つからです。


自己実現とは、自分の能力を精一杯発揮して自分らしく生きることです。
自己実現のためには、生涯に渡って、最期の時まで、自分が生まれてきた意味や自分の使命を探求し、自分の能力を発展させて行かなければなりません。

自己実現の重要な要素のひとつは、生まれて来た意味や使命、能力を発揮する目的は、決して自己完結するものではなく、人との関わりの中において意味を為すものだと思うのです。
人との関わりとは、誰かの役に立つこと、誰かに影響を与えることです。

もう一つの重要な要素は、自立と自律です。
自立とは自分のことが自分でできるということ、自律とは自分で考え、自分で決め、決定に責任を持つことだと考えています。


その人がその人であるための重要なものが、在宅には沢山あります。

住み慣れた地域、近所の人たち、住み慣れた家、家族…
そこには、自分と関わる人たちが大勢います。

賞状や盾、自分の作品、趣味の品々、仕事の本…
そこには、自分の尊厳を取り戻させてくれるものが沢山あります。

起床の時間も食事の時間も、食べたいものも、薬を飲むか飲まないかも自分で決められます。

「どうぞ"遠慮"なさらずに、お茶でも飲んでってくだい」という場面は日常茶飯事です。
在宅という医療の場では、私たちは"遠慮"する立場なんですよね。


在宅で過ごすことの価値を患者さんやご家族と一緒に感じながら、そのお手伝いをさせていただく、そんな医療の現場が在宅医療だと思うのです。


もちろん、在宅での療養が必ずしも自己実現につながるとは言えないケースもあるでしょう。
治す医療が必ずしも自己実現につながるとは言えないこともあるでしょう。
私たち医療人は、常にそのことを心に留めながら、自己実現というゴールを患者さんと一緒に目指していくことが必要なのだと思います。


Text by奥野(大曲診療所長)

医療者にとっての自宅での"看取り"の意味を考える

2007年12月17日 23:15

奥野

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本日午前、1人の末期患者さん(男性)を自宅で看取りました。
そして、自分にとって、患者さんを自宅で看取ることの意味について考えるきっかけにもなりました。


患者さんは、これまでも、自分のことは自分で決めて来られました。
8月に自宅に帰ると決めたのも御本人です。

8月に退院してから約4ヶ月、一緒に暮らす奥さんが、患者さんの療養を支えて来られました。
味覚や食欲が低下してきていましたが、ピザトーストやたこ焼きなど、病院給食ではお目にかかれないもので工夫をしながら療養をつづけておられました。

病状が悪化したのは、12月に入ってすぐのことです。
何らかの感染症のため熱発され、一時は呼びかけにも反応されない程の状態でした。
そんなさなかの 「先生、ここ(自宅)でお願いします。」 という患者さんの一言には、心にこみ上げるものがありました。

先週迎えた70歳の誕生日には、誕生日の近い孫さん2人と一緒にお祝いをされました。
誕生日が3人続いているため、毎年3人一緒にお祝いをしているそうです。

しかし、昨日から意識が低下し、血圧も低下、尿もほとんど出なくなってきました。
いよいよ最期の時が近づいてきました。

娘さん夫婦と孫さん2人もすぐに駆けつけてくださいました。
2人の孫さんも、おじいさんに声をかけます。

そして今日、奥さん、娘さん、2人の孫さんと訪問看護師さんに看取られながら穏やかに永眠されました。
病気を抱えながらも本当にいつも穏やかで、心を乱されることなく、本当に立派な方でした。


患者さん自身や家族にとって、自宅で迎える最期には他には代え難い価値があると思います。

一方では、我々医療者にとっても他では代え難い価値があるのだと感じています。


私が病院に勤務している頃には、"看取り"はとても気の重たい仕事でした。

日本人の大体数の人が、「予後が限られているなら最期の時間を自宅で過ごしたい」と考えていることを知っているからです。
そして、目の前の患者さんもきっとそうだろうと解っているからです。

病院にいると、つい過剰な医療行為を行いがちです。
病院という環境が、在宅に比べると遥かに容易にいろんな検査や治療が出来るからです。
故に、何かをしないといけない衝動に駆られます。
果たしてそれでいいのだろうかと思いつつ・・・

病院というのは"24時間治療する"場所ですから、いくら最期を迎える患者さんでも、すぐに駆けつけないといけないような気がしていました。

日に何度か病室に足を運んでも、ご家族に会えないこともあります。
1人の人間の死を看取ることは、医療者にとっても家族にとっても大変な負担となります。
お互いに労いの言葉や思いやる姿勢が必要です。


今年度に入って、5人の方を主治医として自宅で看取ってきましたが、病院で感じていたような心のモヤモヤを感じることがあまりありませんでした。

医療行為をすることによってではなく、在宅で家族とともに、長年暮らした地域と共に在ることをサポートすることによって、私の存在価値を見出すことができるからではないかと思っています。


在宅での"看取り"は、医療者にとって、優しいもの、自然なもの、やりがいを感じられるもの、なんだと思います。

Text by 奥野